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◆ 2−ァ”縮粍媼院文穏澎媼院砲叛在意識

◆ 2−ァ”縮粍媼院文穏澎媼院砲叛在意識

1.言葉の定義


 表面意識の定義をするならば、この世に生まれてから形成された意識と言えると思います。潜在意識は、生まれた後に形成された部分、生まれるときにあの世から蒔かれた種の部分と、魂の兄弟(自分の全エネルギー・守護霊を含む)に繋がる部分とに分けられると思います。

 実際は、表面意識も潜在意識も、全部が自己の生命エネルギーですから、姿も形もない電波のようなものであり、このように分離したものとして存在するのではなく、機能または役割として説明するための便宜上の区分である、とまず最初に確認しておく必要があります。

  表面意識(顕在意識)= 生まれた後に形成された意識
  潜在意識 =  \犬泙譴晋紊坊狙された部分 = 現在の心の傾向性
       ◆ー錙覆燭諭砲箸靴討良分 = 魂のDNA = 本来の心の傾向性
        霊体としての自己の全エネルギー = 真の潜在意識 = 魂の兄弟

 表面意識については誰も異存ないと思いますが、潜在意識については一体何なのか、多くの方が分かったようで分からない部分です。また単に潜在意識と言った場合、,任△辰燭雖△任△辰燭蝓↓であったりします。

 精神世界または宗教の世界においては、潜在意識とはを指し、自己暗示の世界では,鮖悗掘∪功哲学の分野では、,鉢の両方に係わっています。この違いを確認しないで話をすると、互いに相手の言う意味を正しく理解できない事になります。

 ´△録燭棒在意識と言えるのか、この点も含めて明らかにしたいと思います。

続く

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参考 「七つの封印」 http://www.the-seven-seals.jp/

posted by: 窪田光治 (くぼたこうじ) | 真我と偽我/潜在意識と表面意識 | 08:09 | comments(0) | trackbacks(0) |-
真我と偽我−人間罪の子思想

◆ 1−12 真我と偽我/人間罪の子思想

 /寝罎盖恐罎盧の貴方自身である

 真我と偽我について更に考えを深めていきたいと思います。今まで何度か、真我と偽我という二つの心が独立して存在するのではない、と強調してきました。

 つまり、真我も偽我も自分自身であり、《己心の魔》も自分自身です。誰でも、真我の状態に何時でもなることができるのです。《己心の魔》は自分以外の魔・悪霊と通じることになってしまいますので、要注意ですが。

 なぜ、上記を私が強調しているかというと、真我とは簡単になれるものではない、反省行をしっかりとやって一定の心境に到達しないと、その心を獲得できないと考えている人が多いのではないかと思えるからです。

 その考え方を進めると、表面意識・顕在意識は偽我の固まりであり、日々の生活は偽我で生きている、すなわち今の貴方という存在は偽我である、という結論になるのです。私は、そうではないと主張しています。ここに、大きな視点の違い、大きな姿勢の違いがあるということをまず、読者にしっかりと認識していただきたいと思います。

◆/寝罎鰐妓造凌爾気鮖つ

 しかしながら、高度の真我を獲得する修行、というものを私は否定しているのではありません。昨日のブログで《真我と透明度》と題して述べましたように、真我の奥行きは非常に深く、無限の深さがある、三次元・四次元・五次元・・・究極の神へと、正に無限です。

 ですから、心の透明度を高める努力に限界はないということになります。何処までも透明度を高くしていくのが釈迦の八正道であり反省だと思います。反省というと、悪いことを反省するのが反省であるとお考えの方がおられるかも知れませんが、それは入り口の話であって、[2/29 ◆1−4反省の目的]で解説しましたように、反省の深さもまた無限なのです。

 無限の透明度を追求するためには、無限の努力が必要です。それを支えてくれるのが、釈迦の八正道です。

 真我と偽我という二つの心があるように見える理由

 人間の心はエネルギーであり、波動ですから《一則多、多即一》の言葉にあるように、真我と称する状態と、偽我と称する状態は、瞬時に入れ替わり、交互に出てきます。

 自分の心を観察している時、その観察している人は誰か、その観察している人を観察しているのは誰か、・・・・・合わせ鏡のように、無限の人格があるように見えます。ここで、魔・悪霊の作用が働くと、本当の二重人格、多重人格となって現れてきます。

 二つのことを同時に考えたり、思ったり、念ったりはできません。しかし、交互に出てきて、瞬時に入れ替わるために、多重人格のように感じることができるのです。

 余談ですが、高度の霊的能力である真の《一則多、多即一》では、九次元霊ともなると、同時に多数の場所に出現できると言われています。コップの水を幾らでも分割できる事に似ていますし、またお釈迦様が髪の毛を抜いて息を吹きかけると、全部が自分の分身になったりする喩え話を聞いたことがあるでしょう。

ぁ/祐嶌瓩了匯彖曄真世了匯彖

 私は詳しく知りませんが、人間罪の子・原罪という考え方は、旧約聖書にあり、アダムとイブから発生した思想だと聞いています。キリスト教に心酔している方は、この思想からなかなか逃れられませんね。

 私はこう思います。旧約聖書の時代、その時代背景が、こういう方便を使って神は人間を導こうとされたのではないかと思います。当時の法は、権力であり力の時代ですから、神の目から見た善悪という尺度で世の中が調和されていたのではありません。

 原罪というのは、本来、カルマの事であり、それは罪でも何でもありません。詳しく話すと本題から外れますが、一口で言えば、魂の進化の過程で生じるでこぼこ、育ち盛りの子供がいろいろなトラブルを起こすに似て、成長過程の不調和を原罪とそう喩えて言ったのです。

 今は違います。人間は神の子であり、皆兄弟である。人間は、本来、善である。そういう教えに変わってきています。それは、事実であるからであり、人間は神を理解できる段階に進化してきたからです。そして、罪の子思想では更なる成長はもう期待できないからです。 人間は、神の属性を全て持っています。それを認識できたとき、人は大きく変わるはずです。

ァ/寝罎筏恐罅真祐嶌瓩了匯彖

 私が、真我に誰でも瞬時になれる、そう主張しているのは《人間は神の子》であり、本来、善であると考えているからです。,能劼戮燭茲Δ法表面意識は偽我であるという考え方は、人間罪の子思想から来ていると思えます。

 真我と偽我の定義によっても変わってきます。しかし、私がそう主張するのは、その方が人に希望が与えられるからであり、日々の努力に励みが出るからです。特別な修行をしなくてもできるのです。

 迷いや悩みを迷いや悩みでは無くする方法、裁断する方法、原因を取り除く方法、いろいろと提案してきましたが、日々真我で暮らすことも可能です。少なくとも、自分で観察していれば、真我と偽我が入れ替わることが判ります。そうすると、真我の時間を長くしていく努力ができるはずです。

 芸術、スポーツ、何でも良いのですが、人間が善念を持って、真剣に何かに取り組んでいるときは、自分という存在すら意識にはありません。勝ちたいとか、うまく演奏したいとか、見せたいとか、我という意識があると、成功しません。ですから、集中するという意識すら通り越して、ただ意識だけがある状態、それは無我です。

 真我は、無我に通じ、神に通じる。それは、人間は神の子だからです。

続く

参考 「心の傾向性の修正方法」 http://www.the-seven-seals.jp/mindworld/4-7mentalcorrection.htm

posted by: 窪田光治 (くぼたこうじ) | 真我と偽我/潜在意識と表面意識 | 11:17 | comments(0) | trackbacks(0) |-
真我と偽我

◆ 1−11 真我と偽我

 今まで、真我と偽我という言葉を時々使用してきました。ここで、もう一度考えてみようと思います。

 〇笋猟蟲

● 真我とは、迷い、悩み、執着のない心の状態の時であり、心が解放された状態を言う。
● 偽我とは、迷いや悩みに心が乱れている時であり、心が何かにとらわれている状態を言う。

 心は《一念三千》とか、《握一点、開無限》とかいう表現で例えられるように、本来、自由自在なものです。ですから、私が前から主張しているように、真我と偽我と二つの心があるのではなく、心はあくまで一つであり、それが真我の時もあれば偽我の時もある、ここをまずしっかりと認識することが大切です。

 真我を求めて修行するという方もおられますが、私の説によれば、現在ただ今、貴方は真我になれる、そういう意味を私の定義は物語っているのです。

◆/寝罎汎明度

 この世で、肉体を持って生活している限り、自己防衛本能、さらに食欲や性欲をはじめとする様々な欲望、権力欲、支配欲、自己顕示欲、名誉欲など、ありとあらゆる迷いが心を惑わせようとします。《己心の魔》ですね。どんなに心を探究し反省しても、生きている限り100%それらの欲から逃れることはできません。従って、逃れる努力をするのではなく、うまく付き合い、コントロールすることに力点を置けば良いわけです。

 高橋信次氏が、生前、まだ私を信じてはいけない、死を目前にして、もう私を信じてもいいよ、と弟子達に話したことを私が知ったとき、私は本当にうれしく思いました。やはり高橋信次氏は真に偉大だったと、そう思うわけです。人間としての限界をよく知っておられ、また高橋氏も人知れず苦悩することもあったのでは無いかと思います。

 真我について更に別の表現をすれば、真我とは無色透明の心、波風のない心の状態ということになります。波風は比較的判りやすいですが、無色透明という部分がわかりにくいかも知れません。私が言いたいのは、真我には深さがある、という事です。

 反省、自己観察、自己改造により、波風のない心の状態を保つことは、比較的早く実現できると思います。それは、自分で波風をほぼ確実に感じることができるからです。感じることができるなら、努力次第で解決しやすいわけです。

 しかし、《無色》と《透明》は違います。色がついてる事は、自分ではなかなか判定できません。また、透明度についても何処まで自分の意識の深さを観ることができるか、自分ではなかなか判らないはずです。この二つを判る方は、守護霊・指導霊または神以外にないでしょう。

 ですから、波風のない心を真我の入り口として、無色透明な心を究極の真我と定義できます。真我の入り口に立つことをまず実現できたら、究極の真我を求め心の探究は続きます。次回は、人間罪の子思想と真我について考えてみたいと思います。

続く

参考 「心の傾向性の修正方法」 http://www.the-seven-seals.jp/mindworld/4-7mentalcorrection.htm

posted by: 窪田光治 (くぼたこうじ) | 真我と偽我/潜在意識と表面意識 | 10:27 | comments(0) | trackbacks(0) |-