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私の心の旅/社員の独立劇1

◆ 2−20 社員の独立劇1

 1990年、バブル崩壊

 創立以来、1990年に日本の経済バブルが弾けるまでの約15年間、右肩上がりで売上げは増え続け、社員数もそれに従って増えていきました。丁度それは、日本の高度成長の末期でした。国内の人件費は非常に高くなり、大企業は競って人件費の安い東南アジアそして中国へと生産拠点を移しつつありました。

 バブルが弾け、日経平均の暴落、土地価格の暴落が始まり、会社の成長は止まりましたが、前述した大企業の海外移転に伴う設備の受注が相次ぎ、好調さは維持されていました。しかし、日本経済は相当に悪化しつつあり、金融危機が勃発した頃の事です。1999年の事だったと思います。

 創立以来、私と共に苦労を重ねてきた右腕と言っても良い部下がいましたが、彼の部下4人を引き連れて私から独立することになりました。以前から、どうもおかしい、という雰囲気を感じていたのですが、宣言されたときは、さすがに驚きました。しかし、慰留しても、もとには戻らないと悟り、すぐにあきらめ、その後の対応を考える事にしました。

 彼は、生産設備の特注(顧客の設備をその都度設計しては製作する一品料理)を担当していました。しかし、それらの基礎技術は、私が創立以来、ずつと先頭に立って会社に蓄積してきたものです。彼とその部下が独立すると、事実上その部門を継続することはできなくなります。

 私はその時、その部門の一部を切り捨て、二度と受注しないことに決め、会社を別の方向へ向かわせる決断をしました。設備の特注は、金額も大きく、装置も複雑で、一見すると大抵の人は「すごいなあ」と思うでしょうが、経営的に見ると決して安定的に利益が上がるというものではありません。言い方を変えれば、蓄積した技術と人生という時間の切り売りのような仕事です。

 私は、残された人生をもっと技術開発志向の会社にするために使うことにしました。ですから、独立した彼らが担当していた分野を再興しようと私はしなかったのです。では、なぜ彼らは独立したのか、その核心についてお話ししましょう。

続く

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参考 「七つの封印」 http://www.the-seven-seals.jp/

posted by: 窪田光治 (くぼたこうじ) | 人生 | 16:40 | comments(0) | trackbacks(0) |-
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