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ぁ〆欧粒放

◆◆◆ 4−空(くう)と無(む)の思想 ◆◆◆ 

はじめに
 _柔于修靴進教 ◆ゞと無は縦糸と横糸の関係
1.空の思想
1−1ネットで調べた『空の思想』
 ゞ (仏教) - Wikipedia から抜粋 ◆ 抜粋1について
◆ゞ (仏教) - Wikipedia から抜粋 ◆ 抜粋2について
 空 (仏教) - Wikipedia から抜粋 ◆ 抜粋3について
ぁゞ (仏教) - Wikipedia から抜粋 ◆ 抜粋4について
1−2 真説『空の思想』
 ゞ/本質の存在−すなわち理念、エネルギー、仏性、神性
◆ゞ/本質が存在する空間−高次元世界の存在 
空/エネルギーと理念、仏性、神性
ぁゞ/死後の世界
2.色即是空、空即是色−諸行無常/人間の輪廻転生
2−1 実在界とこの世の関係 2−2 高次元と低次元を貫くエネルギーの輪廻転生
 ―行無常と万人に共通の時間軸 ◆.┘優襯ーの輪廻転生 
 真説『空の思想』の整理
3.無の思想/無我とは何か 3−1ネットで調べた『無の思想』
 〔 ◆ 抜粋1の解説 ◆〆欧亮詑検進教思想の『無』◆ 抜粋2の解説
3−2真説『無の思想1』心の在り方としての無−無我
 ―ゞ気量榲 ◆ー甓爐糧正道  正しさとは何か
−−−−−−−−−2010.12.09に続く−−−−−−−−−−−−−

ぁ〆欧粒放

 ここからが本題です。反省をするとき、すなわち正しさや中道を求めるとき、あるいは良心に問うとき、何が最も大切でしょうか。

 心の平安と幸福の追求、あるいは自己の成長を追求するならば、周囲との調和が原点です。周囲との調和無くして、心の平安もなく、幸福も無く、成長もあり得ないでしょう。人間の悩みの原点は自己と他の関係の中にあることが分かります。

 偏らない第三者(良心)の目で、自己と他の関係を深く考え、中道という考え方を尺度として両者の調和について考えたり、問題解決の糸口を探したり、互いの更なる成長を考えたり、様々な角度から検討します。この時、偏らない第三者の目に、自分が成り切れるか、ここが最も大切になります。

 自己と他の関係というと、利害関係が絡んでくることが多いわけであり、自己防衛本能が無意識の内に働き始めます。最も敏感に働くのは、肉体に関する欲望であり、続いて金銭欲、自己顕示欲、名誉欲、支配欲、様々なものがあります。経済的に普通の人ならば、自己防衛・自己顕示欲が中心になるのではないかと思います。

 ですから、偏らない第三者(良心)の目に自分が成り切るためには、肉体的な欲望や精神的な欲望から、一旦、自己を開放する必要があります。自分で自分を開放するのです。すなわち魂の開放です。幼子のように素直で謙虚な自己を取り戻す事です。

ァ〔気箸浪燭

 宗教的な無とは、この魂の開放を意味します。

 鷲やトンビが、大空高く、雄大に飛んでいる様子を見たことがあると思います。しかし、ウサギのような大きな獲物を捕獲したとすると、もはや大空高く、自由に飛び回ることができません。もたもたしていると、今度は自分の命が他の大型の動物に狙われることになります。

 また南のある国では、猿を捕獲するための簡単な仕掛けがあると聞きます。それは、壺の中に猿の好物である餌を入れておくのだそうです。猿は、壺をのぞき込み、餌を取り出そうとしますが、餌を握ると拳が大きくなり、壺から出すことができません。必死に拳を壺から抜こうとしますが、何故抜けないのか分からず、結局人間に捕まってしまう、そういうお話しです。

 自我、我欲に捕らわれている、すなわち心が様々の事柄をつかんで離さないでいると、鷲やトンビのように自在に飛び回り、また猿のように敏捷に走り回れない、そういう心の状態に成っていきます。何故かいつも心がザワザワしてシーンとしていない、また追い詰められたように切迫感を感じて重い、その理由が分からないで苦しんでいる、いや苦しいことにすら気がついていない、それが多くの人間の姿です。

 しかし、魂を開放する、心を解放するというのは、物を棄て、地位を棄て、お金を棄て、山に籠もれば可能になるということではありません。社会と隔絶して、仙人のように一人で生活しても、それは真の開放ではありません。単に環境を変えることで忘れようとしているだけです。

 様々な物やお金、権力や友人を沢山持っていても、それに捕らわれない、自由な心を獲得することが真の魂の開放だと私は思います。では、どうすればできるか、ですね。本題から外れますので、私の思うところを簡単に言いましょう。、

Α〔気粒容

 止観、反省、禊ぎ、懺悔と、いろいろな方法論が説かれていると思いますが、これらはいずれも謙虚に自己を振り返り、神の偉大さの前に自己の小ささを知るという一面を持った作業であり、少なくともその時は、ある程度の範囲で魂を開放し、無を体験できるでしょう。

 その経験を重ねることで魂の開放を持続できますが、その作業をやめれば、また元に戻ってしまう事になりがちです。ではどうすれば良いのか。私は、心の次元を少しだけ上昇させることが大切だと思います。

 そのためには、全体の悟りに関する様々な知識を獲得し、神の心の一端を理解しようとする努力が早道だと思います。全体の悟りとは、霊・霊的世界・神・進化と創造・高次元宇宙・・・その他についての整合性がある知識の集積です。

 様々なものを沢山持っていても、心でつかまないことです。心の重荷とならない、執着を持たない、全ては預かり物であるという自然な心、これが宗教的な真の無であり、釈迦の教える無である、私はそのように理解しています。後述しますが、無は心の成長を願う者にとって、大切な出発点です。

 無に対する理解が進むと無我も容易に理解できます。次回は『無我と諸法無我における我とは何か』と題して、考察を進めていきます。

続く


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posted by: 窪田光治 (くぼたこうじ) | 心の浄化/発展 | 08:26 | comments(0) | trackbacks(0) |-
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