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3−1ネットで調べた『無の思想』 ∧教思想の『無』

◆◆◆ 4−空(くう)と無(む)の思想 ◆◆◆      

はじめに
 _柔于修靴進教 ◆ゞと無は縦糸と横糸の関係
1.空の思想
1−1ネットで調べた『空の思想』
 ゞ (仏教) - Wikipedia から抜粋 ◆ 抜粋1について
◆ゞ (仏教) - Wikipedia から抜粋 ◆ 抜粋2について
 空 (仏教) - Wikipedia から抜粋 ◆ 抜粋3について
ぁゞ (仏教) - Wikipedia から抜粋 ◆ 抜粋4について
1−2 真説『空の思想』
 ゞ/本質の存在−すなわち理念、エネルギー、仏性、神性
◆ゞ/本質が存在する空間−高次元世界の存在  空/エネルギーと理念、仏性、神性
ぁゞ/死後の世界
2.色即是空、空即是色−諸行無常/人間の輪廻転生
2−1 実在界とこの世の関係 2−2 高次元と低次元を貫くエネルギーの輪廻転生
 ―行無常と万人に共通の時間軸
◆.┘優襯ーの輪廻転生
 真説『空の思想』の整理
3.無の思想/無我とは何か
3−1ネットで調べた『無の思想』
 〔 - Wikipedia 
◆ 抜粋1の解説

−−−−−−−−−−−2010.11.25に続く−−−−−−−−−−

 更にネットで調べた無について引用します。真説『空の思想』を読んでそれを真とする方は、以下の文章を理解できなくて当然だと思います。

◆〆欧亮詑 http://www.justmystage.com/home/motohiro/index.html
  仏教思想の『無』http://www.justmystage.com/home/motohiro/museisin.html
     (このサイトも、筆者と何の関係もありません。)

−−−−−−−−−−抜粋2−−−−−−−−
 『無』といえばまず頭に浮かぶのが仏教です。釈迦の無は認識作用を無化することにありました。「唯識」の『空』論において『無』は思想化されました。この思想の特徴は実在するのは『識』だけであり、その他の存在は識の作用のようなものであり、実体がない(空)であるということです。いわば魂とは『識』であり、『識』以外に何ものも存在しないということでしょう。世界の変化は『識』状態の変化(転変)なのです。『識』とは『意識』や『心』と『身体』、世界現象のすべてなのです。ということで識の様々な変化構造を描き出すのがこの思想の特徴です。その煩雑なインド的カテゴリー的概念は現代的には無意味ですが、一つ重要な概念をあげるとすれば、自己感覚の存続に関わるのはアーラヤ識だということです。しかし、『識』が変化するものなら『永遠』とはいえないので『識』も自性を持たない(空)でしょう。つまり真の実在は『識』を属性とする『空』という『無』なのです。禅の無はその延長であり、宗教的体験を求める方法としての無であって、『無』自体については思想されたものではありません。仏教的『無』はきわめて非物質的であり非生命的であり、純粋精神的です。つまり現実否定的なのです。
−−−−−−−−−−以上抜粋−−−−−−−−−−−−−−

◆ 抜粋2の解説

 認識作用を無化する、というのはこういう事だと思います。心をコントロールすることで、心の運動を停止(想念を停止)させ、自己の存在を感をじるだけになること、を意味するのであろうと私は推測します。『心頭滅却すれば火もまた涼し』という言葉がありますが、それにやや近いのだろうと思います。

 釈迦の無は認識作用を無化すること、とありますが、私は少し違うのではないかと思います。瞑想が深くなり定に入ると自然とそうなるだろうと思いますが、意識して心の作用を止め、無となるというのは単なる訓練であって、私は瞑想と本質的に異なるのではないかと思います。釈迦が訓練としてしたことはあったのかも知れませんが、それは本道ではないでしょう。

 瞑想とは本来、外界と心を遮断して、心静かに物事を考察し、洞察することであり、本質を見抜くための努力を言うものです。ここで、座禅を組んだり、目を瞑ったり、静かな部屋で座る、といった形式にこだわる必要はありません。外界と心を遮断するのは、どのような場所でも、環境でも可能なのです。ですから、散歩しながら瞑想することも可能です。

  心の作用を止める訓練をすることで大いに悟りが深まるのかというと、私は原理的にあり得ないと思います。宗教的体験、すなわち霊的体験をすることがあったとしても、修行の王道とは言えないと思います。高級霊・守護霊が語りかけるには、波長導通の原理から心の浄化が基本的に必要なことであり、それが無い場合、霊的現象は闇の世界からの作用ということになり、非常に危険であると言わざるを得ません。

 実体がない(空) 、とありますが、私の真説『空の思想』と正反対の意味です。私の説では、空とは、目に見えない実体そのものであり、本質であると説明しました。

 真の実在は『識』を属性とする『空』という『無』なのです 、とあります。思想として哲学としての無に対する解釈や説について否定も肯定もできませんが、何と空虚な解釈かと私は思います。

 それでは、釈迦が教えたと私が信ずる説を述べてみましょう。 

続く


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posted by: 窪田光治 (くぼたこうじ) | 心の浄化/発展 | 08:27 | comments(0) | trackbacks(0) |-
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