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2−2 魂の兄弟

2−А/瓦瞭きと仕組み
まえがき                                         
1.非常に高度な「心の作用と働き」
1−1 心の階層 1−2 知覚
 ‘体を持つ人間の知覚 ◆[遒箸覆辰真祐屬涼粒
1−3 念い 1−4 記憶・感情・本能
 ゝ憶 ◆ヾ蕎陝´ 本能 −1 この世の本能 
−2 霊としての本来の本能
1−5 知性・理性・感性・悟性
 |寮−本質を知識を基にして知る作用と能力である。
◆〕性−本質を理論的に知る作用と能力である。
 感性−理論的に説明ができない本質を直感(感じる事)で知る作用と能力である。
ぁ仝臉−理論的に説明ができる本質を直感的に知る作用と能力である。
1−6 智慧・認識力
2.三次元と四次元を貫く「潜在意識と顕在意識−魂の兄弟」
2−1 輪廻転生と幽体離脱
         
−−−−−−−2009.10.26に続く−−−−−−−−−−

2−2 魂の兄弟

 生まれ変わる際に自分の全てのエネルギーが肉体に宿るわけではありません。地球の神は進化のシステムとして約100年を地上の寿命とする輪廻転生を創設されましたが、その際に本体と五人の分身という形で魂の兄弟を創られ、交代で地上における魂の修行をすることになりました。

 兄弟といっても、別々の個性を持つ分離した個体ではありません。全体で一つの共通の個性を持つエネルギーであります。地上世界へ一人が旅に出、他の五人は天国で様々な役職や仕事を持ち、次に生まれ変わる人が守護霊として地上の兄弟を見守っています。地上の体験は、魂の成長のために大変大きな学びとなりますが、一方では危険も非常に大きいため、守護霊としての大切な役割があるのです。

 物質的な感覚ではなかなか理解できませんが、エネルギーとしては一つの個性を持ち、別々の事を考えたり行動したりしています。例えば、手の平を本体として五本の指がありますが、それぞれ別々に動かすことができます。その指に小さな人形をかぶせ。布で本体を隠し、指人形劇を人に見せたとしたら、別々の個性ある人形が五人いるように見えます。

 エネルギーとは不思議なもので、魂の兄弟が空間的に分離して存在すると考えるのではなく、あくまでも一体なのです。例えば、TV電波を考えてみましょう。東京タワーから、あらゆる局の電波が、上にも下にも360度の方向へ放射され、一つの空間の中に色々な局の電波が充満しています。

 地上のテレビ受像機(魂)が貴方であり、天上界の兄弟達も別の受像器(霊体)を持っているとして、チャンネルが同じであれば、それぞれに同じNHKの番組が映ります。そのチャンネルの電波が貴方であり、魂の兄弟であると考えると、理解が進むのではないかと思います。しかし、電波は一方的に拡散しますが、意志を持った霊、貴方という霊的エネルギーはこの宇宙全体に広がることも、一点になることもできるのです。

 従って、この地上に生まれ、魂修行をしている私達は、分離した一人という個体ではなく、その心の奥底はあの世の魂の兄弟と繋がっているという認識を持たなくてはなりません。では、地上の私達はなぜ魂の兄弟と繋がらないのか、という疑問が出てきます。

 次回は、この問題について考えます。

続く


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posted by: 窪田光治 (くぼたこうじ) | 心とは何か | 09:19 | comments(3) | trackbacks(0) |-
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こんにちわ

窪田さんの話しを聞いていて分かりました。
窪田さんが私が思ってるより、遥かに高度な
知識を持っていることに。恥ずかしながら
私は窪田さんを、実際より(知識レベルを)
低く見ていたと思います。

しかしながら、やはり私の経験から言わせて
いただけば、知識は表面意識しか変え得ない
ということです。つまり行法とは言いませ
んが、霊的な高貴な気を霊的身体が吸収せ
ねば、霊性は変わりません。

窪田さんのお話しには「霊的な気」という部
分と「念」という部分が無い気がするのです。

そこでその部分を理論的にレクチャー(つま
り討論という形での学び)させていただいて
宜しいでしょうか?
| sonin | 2009/10/29 3:14 PM |
sonin さん、コメントありがとうございます。早速ですが、

◆ 貴方のコメント言葉、《知識は表面意識しか変え得ないということです。》 という部分ですが、これは私も全く同感です。

 知識を焼き尽くし灰に変え、智慧に変えないと、霊性の向上にはならないと私も確信しています。ですから、日々の行いそのものが修行であると思います。つまり、知識を日々の生活の中で実践し、それを何十年も続けて初めて、霊性の進化に寄与すると私は思います。ただし、特殊な修行が絶対的に必要だとは考えていません。

 一旦、過去の行いや念いをしっかりと反省して心の曇りを取り除き、日々の生活の中で新たな曇りを造らないことが大切です。その方法として、スタイルは問わず反省的瞑想がありますし、日々の心の動きを感じつつ、コントロールする事だと思います。しかし、ここで大切なことは正しさの基準、判断の基準、対象の本質を見抜くことです。

 正しさの基準とは、神の心を知ることです。判断の基準とは、自分以外の周囲の人との調和を考えることです。本質とは、ものごとの仕組みの事です。実践段階で、最終的に自己の智恵が試されます。日々の生活が修行であり、そこにこそ非常に奥が深い真の学びがあります。

◆ soninさんのコメントで、《窪田さんのお話しには「霊的な気」という部分と「念」という部分が無い気がするのです。》という部分について。

 おっしゃる意味が良く分かりませんが、私のブログは、誰かに教えたいとか、知識を披露したい、そういう気持ちで書いているのではないからかも知れません。ブログの一番上に書いてありますが、私のブログは《私自身の洞察を深め、その力を高める》事を第一の目的にして、更に読者と共に修行の道を歩みたい、というのが理念であり私の願いです。

 一つのテーマを定め、色々な角度から考えを深めて行くこと、それを私の一つの学びとしています。また読者からコメントがあれば、それを刺激として場合によっては自分を修正していきたいと考えています。

 私のブログに「霊的な気」とか「念」がないとしたら、私にとって《最大の褒め言葉》かも知れません。貴方には分からないかも知れませんが、「気」とか「念」は、大抵の場合《我》から発生するエネルギーです。私は、我を無くし、心を空しくして、文章を書くことを大事にしています。

 それはどういう事かというと、書かされているがごとく、書くのです。つまり、無我の境地になって物事を考え、洞察し、文章を書く時、それは私の真我の声です。私の魂の最も奥深いところから出てきた言葉となります。ですから、私は際限なく考えが湧き出て来ますし、また書き続けられます。書いているとき、自分でも不思議な感じがします。

◆soninさんのコメントで、《そこでその部分を理論的にレクチャー(つまり討論という形での学び)させていただいて宜しいでしょうか? 》という部分において、

 ここの部分は大変難しいですね。私の過去には何度か苦い経験があります。討論という形で理論を戦わせる事の空しさをつくづく思い知らされました。

 討論というのは、相手を説得したいという互いの《我》があり、その我は自己保存欲、闘争本能、名誉欲、自己と他を比較し分離区別する事で自己の存在を確認したいという欲望、などへと変質していきます。

 ですから、レクチャーや討論は御遠慮下さい。意見を交換したり、互いに理解のために質問したりするのは必要なことであり大切なことです。私は、前述しましたようにsoninさんに私の考えを理解させたいという気持ちは全くありません。ただ、理解してくれたらうれしく思います。ただそれだけです。

 そういう意味の御質問があればいつでもお受けいたします。
| 窪田光治 | 2009/10/30 9:51 AM |
追記

◆soninさんのコメント《霊的な高貴な気を霊的身体が吸収せねば、霊性は変わりません。》という部分について、

 この言葉に私は驚いています。全くの誤解であり、大変危険な思想だと思います。《霊的な高貴な気》を《神の気》すなわち神のエネルギーと理解するならば、多少の理解が可能です。しかし、貴方はそう言う意味で言われたのではないように感じています。

 霊性が向上するためには、自らの努力以外にないのです。高貴な気を吸収することが直接の原因で霊性が向上することはあり得ません。

 私が神のエネルギへーと言ったのは、愛の実践を心がけるとき、日々の努力を続けるとき、智恵が豊かになるほど、神のエネルギーが体内にわき出てきます。それは、霊性の向上の結果として神のエネルギーがわき出てくるのであり、神のエネルギーが注がれた結果として霊性が向上するのではありません。ここは非常に大切な部分です。

 soninさんはどうやら他力思想のようですが、他力では真に自分を救うことはできません。そのような気分にはなれます。一時の間の、安らぎはあるでしょう。神に全てをゆだねるという気持ちは大切です。

 しかし、それは自力の全てを出し切った上で、神に導きを求め、自分の運命をゆだねるのが正しい在り方です。自分の努力無くして、神に抱かれたいという気持ちならば、神は貴方を突き放すでしょう。努力しないで甘える子を親は叱るはずです。それと同じです。人間は神の子ですから、守護霊も神も、貴方を涙をのんで突き放します。それが、親の愛であり、神の愛です。

以上、よくよくお考え下さい。
| 窪田光治 | 2009/10/30 10:29 AM |









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