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◆ 『人につかず、組織につかず、法につけ』

◆  『人につかず、組織につかず、法につけ』

 2009.09.28の記事でコメントをいただきましたので、本文において私の考えを述べてみたいと思います。

−−−−−−−−−−−−−−−−−
 soninさん、コメントありがとうございます。

 私は、霊界を見てきてお話ししているのではないのです。貴方と同じように、物理学的な原理を拡張して理解しようとしています。ですからおっしゃるように、当然その理解に限界があり、仮にその限界を超えて私が知ったとしても、それを言葉で表現はできないでしょうね。そういうわけですので、私を師と呼ぶのはやめて、窪田と呼んでください。

 イエスのお話しは全くその通りだと思います。如何なる神霊であっても、肉体を持つと、人間に変わりはありません。ですから、逆に言うと、過去には、中山みき、出口王仁三郎、谷口雅春、高橋信次、そして現代にも数人如来格の方が実際に日本におられるのですが、それを現代人はなかなか正しく認識できないものなのです。

 人間イエスは神の代理人、すなわち正真正銘の預言者、救世主であることを多くの人に認知されたのは聖書が編纂されてからの事であり、死後数百年を経て次第に神格化されてきたものです。神格化されてきたという歴史的な知識のもとに、多くの人はイエスを信じているという点を忘れてはならないのです。

 何が言いたいかというと、「多くの人が認めているから、イエスを信じる」というところに大きな問題があるからです。貴方のメールの最後に、

『そういった方の教えに従うのは、危険です。時に間違えるからです。人は神体の力によってのみ救われる。』

 とあります。soninさんの真意をこの短い文章から推測することはできませんが、誤解を恐れず申し上げます。soninさんは基本的に正しいことを言っているように見えるのですが、私の考え方は少し異なりますので、それを以下に申し上げたいと思います。

 私達は、神の代理人である預言者を通じて神の教えを学んでいます。預言者は使命を持ってこの世に生まれ、霊道を開いて神の言葉を地上の人間に伝えるわけですが、霊道を開きそれを正しく維持するのは並大抵のことではありません。非常な危険に満ちています。

 霊道を開くとは心の窓を開くということですから、うっかりするとその窓から悪霊やサタンが覗いたりささやいたりします。その声が明瞭に聞こえたり、霊視できたりするということになります。預言者もまた肉体を持つ以上、人並みの欲望、自己保存欲を持ち、様々な事に惑わされる可能性を持っています。ですから、少しでも油断すると、たちまちサタンの虜となり、魂を拘束され、転落していきます。

 しかし私達が神理を学ぶことができるのは、イエスをはじめとする歴史上現れた数多くの預言者のおかげなのです。この世に生まれ、一生を神の僕として働いた方もおられれば、途中で転落して行く方もおられるということです。神から与えられた使命を持つ真の預言者にとって、この世は生きるか死ぬかの戦場であり、彼らはそれを覚悟して生まれてきています。その転落した方を堕天使と呼ぶことはできますが、少なくとも私達地上の人間にその資格はないと私は思います。

 神理と称すもの、霊言と称すもの、預言者と称す者だけでなく、この世にある全てのものは、善とも悪とも見分けが難しいものが多いのです。しかしながら、人生において、その玉石混淆の中から玉を選び、そして学ぶのは一人一人の責任です。その『選択自体』が大きな学びであるのです。

 では何を根拠にそれを選ぶのか、他人の評価でしょうか、そういう方もおられるでしょうが、それは前述のように正しくはありません。他人の評価を基準に選ぶならば、自ら自分の修行そのものを放棄したも同然です。選択の基準は、自分の「心の奥底にある神性」以外にはありません。

 貴方が言う、『そういった方の教えに従うのは、危険です。時に間違えるからです。』のどこに疑問があるかといえば、貴方は「預言者」の存在を認識しつつも、そして「その人の教え」に『従う』のは、危険だと言っています。

 つまり、形式から、また外部からの観察で、判断しています。その人の教えが正しいか正しくないか、玉か石か、正か邪か、それはその教えの中にあり、またその指導者の人格の中にあります。それを見極めるのは、他人ではなく自分の神性です。ですから『従う』というのは、法にかなう言葉ではありません。

 そして、まだ修行中の自分が間違えることは、当然あり得ることです。ここで大事なことは、自分が間違えることを恐れてはいけないという事です。しかし間違えても良いというのではありません。ですから、真剣に自分を見つめ問いかける事が必要になります。そして、間違えないために、より一層、自分の神性を磨いていく努力が必要だということです。

 それでも、道を間違えて地獄に堕ちることはあるでしょう。その時はしっかりと反省させられます。それもまた大きな学びです。長い輪廻転生のなかで、失敗を恐れる人と、恐れない人、どちらの進化が早いと思いますか。

 どのような人であっても「神性」を持っています。その神性を拝み出すのは、自分自身であります。小さな子供、後輩、またホームレスから、様々な人の中に神性を見出し、そして学んでいく事が大切だとは思われないでしょうか。

 現代にも、如来級の預言者が日本で複数活躍されています。その事実に気づくのは「今生きている貴方」か、それとも数百年後に生まれ変わり、過去の預言者の評価が高くなってから、それに気づく貴方であるかどうかという点です。あるいは全く気づかずに終わるか、ということです。

 つまり、今の貴方はイエスを偉大な方と認識できますが、イエスが生きて迫害されていた当時に貴方が同時に生まれていたとして、人間イエスを偉大な方と認識できたと貴方は思いますかと問うているのです。

 過去、現代もまた優れた預言者が複数日本におられるとして、現代の貴方は、それを認識できるかどうか神より問われているのかも知れませんよ。また、生まれてくる前、神に「今度こそは」と約束し、誓ってきたのかもしれませんね。

 風貌や、他人の評価に一切捕らわれず、その人の言葉の中に神性を見出し、その人格を見極めることができるかどうか、失敗を恐れず積極的に挑戦するかどうか、それが今世の大切な修行課題だと私は思います。

 但し、貴方が言われていることも半分は真実なのです。預言者が転落していくこともあり、霊道を開いたところ悪霊を高級霊と勘違いし、霊言と称して出版した著書は真っ赤な偽物、すなわち悪霊の霊言書、そういうものが堂々と出版されているのも事実だからです。

 『人につかず、組織につかず、法につけ』 という言葉があります。私が大切にしている言葉の一つです。貴方も「法につく」という意味を一度よくお考えになって見られることを私はお薦めします。

 soninさん、またコメントをお待ちしています。


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神理の総合HP 「七つの封印」 http://www.the-seven-seals.jp/

posted by: 窪田光治 (くぼたこうじ) | コメントに答えて | 09:05 | comments(0) | trackbacks(0) |-
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